美と素粒子論.

物理の雑誌「パリティ」編集委員を務めてもう3年目になるが、ついに念願の企画が世に出た.2013年10月号、特集「美と素粒子論」.大変嬉しい.


これは素粒子理論屋としてもかなり個人的な感覚になるが、美しい理論というものがあるとずっと思って来たし、感じて来た.もちろん、同意しない素粒子論研究者も多いかもしれないことを注意しておく.しかし僕には、素粒子理論の世界において、理論の展開の仕方や論理の組み立て方、数式の変形の仕方や現象の整理の仕方、などなど至る所に「美しさ」を感じる瞬間がある.おそらく、そのような感情をひとまとめで「美しい」と自分が呼んでいるだけなのかもしれないが、それにしても、僕が素粒子論と違った状況で美しさを感じるときと何らかの共通性を保ったまま、素粒子論でも美しさを感じているのは疑いない.

美しさというのは非常に個人的な感情で、それが素粒子論という高度な数学的体系を操る際に感情として現れることに大きな矛盾を感じたまま、研究者の人生を歩んで来たように思う.それを、この数年いろいろな研究者の方と分野を超えて相互作用するようになって、改めて問うてみたくなった.僕の考えて来たある理論を「美しい」とおっしゃって下さった研究者の方がいて、その瞬間は克明に覚えているが、僕に取っては最高に嬉しい言葉だった.同様に感じる研究者が居るのではないか.そういうことを、他の研究者に聞いてみたくなった.

もちろん、個人レベルではいろんな人に聞いてみることは出来るが、もう少し広く知りたかった.そこでパリティで特集を組ませていただいたというわけである.日本に限らず世界の素粒子論研究者に、美について一般的に語ってもらうことで、どのように素粒子論が美と関与しうるのかを、頭ごなしに決めつけるのではなく、緩く聞いてみたかった.その結果が、この特集である.美について一家言ありそうな、ガチガチの素粒子論研究者にご登場頂けたおかげで、大変楽しい特集になった.僕と似た感情を持っている研究者も居れば、そうではない形の美を感じている研究者も居た.そういう当たり前のことを、改めて知ることが出来、この機会を持てて大変嬉しく思う.

人間が一つのことに打ち込むには、大きな動機が必要である.科学の研究者なんていうのは、人目を気にせず自分の好奇心に従って打ち込むのが生き甲斐になっているわけだが、その大きな動機とは何だろうか.美、なんて言うと、そんなユニバーサルなものなのかとか、そんな科学と縁のないものなのか、とかいう議論になるのは必至だろう.しかし、科学の創造の過程は人間の行為行動な訳で、動物としてのの人間の原始的な好奇心的行動にはユニバーサルな動機があっても良かろう.それは美でありうると考えている.もちろん美の定義はかなり個人的なものだし、加えてそもそも定義できるものかも分からない.しかし美という体系でくくり出せる何かがあるように感じる.

科学とアートというのは色々な試みのある分野であるが、科学そのものを生み出している科学者の創造性の原点としての美的感覚についてはあまり語られることは無かったように感じている.僕が知らないだけでさんざん語られているのかもしれないが、科学はそれにしても毎日その概念が進化しているものであるから、現在においてその美的感覚を語ることは何時の時代でも重要なことであろう.一方で人間の間の交流がインターネットの普及で根本的に変わりつつある今、美的感覚そのものが徐々に変化することは否めず、さらにアーティストの日々の活動が美の概念を日々変革していることも事実だろう.従って、美と科学、というテーマは永久のテーマである.

大上段はともかく、一人の科学者として、純粋に好奇心に従って企画させていただいたのみである.この特集を元に、いろいろな議論が巻き上がれば、もしくは科学者の創造的瞬間における美的感覚について広く知られるようになれば、編集委員として本望である.