南部コロキウム.

南部陽一郎先生の息吹を感じながら進む講演.次々に学部生や教員から浴びせかけられる質問に、汗をかきながら答えてくれる講師たち.「おお、ええ質問するなぁ」「うわーそれ聞きたかったことやん」「なるほど、そういう視点で今の話聞いてたんやね」そんな感想を持ちながら、講師の素晴らしい講演に聞き惚れる.


そんな南部コロキウムは、先週もう第4回を迎えた.半年前の2013年7月に始まって、毎回毎回、こんな面白い講演あるんやなぁと関心し興奮すること、しきり.こんな場所がホンマに欲しかった、と阪大に来てからずっと思っていた.実現、嬉しい.


南部陽一郎先生の名を知らない物理屋は居ない.僕が初めて南部先生を見たのは、大学院生のM1の時やった.ある日研究室で「今日は南部先生が来るらしいで」という噂を聞き、ドキドキしながら待っていたものだ.本当に南部先生が廊下を歩いて来た時には、もう、ホンモノを自分の目で見ることが出来たという「うわー」感で一杯で、最後に研究室全員で南部先生を囲んで写真を撮ったことしか覚えていない.それほど、雲の上の人である.

毎日、弦理論の南部後藤作用を使って計算していても、毎日南部ゴールドストーン励起を計算していても、それは教科書で勉強した数式だということが頭に張り付いている.一方で、自分が大学院に入った頃から世に出た論文で勉強したり研究したりした数式は、全く違う風に自分で感じる.それらの数式には、たいてい、どんな人がその考え方を出して来たのかという人物像が生々しくくっついている.そういう数式には、なんとかしたらオレもその数式よりもっと凄いカッコいい数式を編み出せるんじゃないか、という感覚がついてくる.それが自分の研究の原動力になっていることも多々ある.

でも、「南部」の名がつくものは違う.どうやっても勝てない数式だ.何をどうやっても、勝てない.南部の数式は、勝つためのものではなく、鑑賞するためのものだ.南部の数式は、その向こうに広がる広大な荒野を導いてくれる地図だ.そんな風に、ずっと、ずっと、M1になってからもう18年、ずっと思って来た.

去年の冬のことだった.阪大に着任して、生まれて初めて南部先生のセミナーを聴いた時には衝撃が走った.ホワイトボードの前に立った南部先生は、新しい数式を生み出していた.南部先生は、一人の科学者だったのだ.そのことが、本当に衝撃だった.僕がさんざん鑑賞して来た、あの数式は、一人の科学者が生み出したものだという、その事実が、目の前に動く南部さんに凝縮されていて、まったく頭がおかしくなりそうだった.南部先生のセミナーは、ある恐ろしい結論で幕を閉じ、僕は人々が「南部は10年先を行っている」と呼んでいた理由を完全に理解した.まるで自分がお釈迦様の手のひらで楽しんでいた孫悟空のように思えた.「あれがホンモノの物理や.」その言葉が、心の底から出てきた.

そんな南部先生の息吹を感じながら、阪大理学部で物理を議論できる場を作りたい.その一心で、阪大の基礎理学プロジェクト研究センターに「理論科学研究拠点」が設立され、南部コロキウムの運営が始まったのは、2013年6月だった.果たして、その夢は現実になった.南部コロキウム.最新の理論科学と物理を、学部生が議論できる場に.

南部先生の、あの朗らかな笑顔と、射るような眼差し.科学への愛があふれるような言葉.一つ一つが、一瞬にして自分を、純粋に科学を愛する子供にコロッと変えてくれる.オレも南部先生の数式に勝てる式を書けるかもしれない.