と或る科学とデザインの夜.

昨夜は、そんなことを知らない人たちの前でしゃべってしまっている自分に自分で驚いてしまう夜だった.twitterで知り合ったある方との交流は、渋谷WOWでのトークイベントに発展した.HITSPAPERの主催するトークイベント「と或る科学とデザインの夜」で、自らの科学への関わり方を語っている自分が居た.


デザインやアートの創造プロセスと、科学の創造プロセスが、あまりにも似ていると気付かされたのは、このイベントの元となった会合だった.たまたまあの動画を作って公開した頃で、非常に新鮮な驚きがあった.

今回のトークイベントでは、その類似性を前提として更に深くお話しできた感覚がある.アートディレクターの鹿野護さん、サイエンスコミュニケーターの林田美里さんとのお話は、どうも自分の中の時計の針を20年戻してくれたようだ.経験をそのままにして.

科学者のコミュニティで独房的な生活を送っていると、その中の常識として問わないことを問わないままにしているため、常識を破るということを敢えてする必要が無くなっている。科学革命は常識を破壊して現れることであるのに、その事実すら忘れ、数学のゲームとしての科学の小さな疑問を常識的に解決してしまうことに至極の満足を味わう。鹿野さんとお話したとき、その危険さ、一方でその重要さ、に気付かされた.

科学革命は常識を破る.常識を破る視点を備えている者のみが成し遂げられるのは明らかだ.しかし、常識を破ることをルールを無視して行うのは不可能だ.常識を破ることとルールを破る事は違う.ルールとは数学、そして実世界のことだ.時としてルールが変わる事がある.しかしそれは、常識が破壊されているのにルールが破壊されていないとたくさんの人が理解したときのパラダイムシフトが必要なのだと思う.常識の限界とルールの限界を両方極限まで知っている者が、科学革命を起こすのだと思う.

日々の科学活動は、小さな小さな問題解決の積み重ねである事は確かだ.今日も僕はある方程式の式変形をどうやってするかに心を砕いている.そしてノートの次の行に「=」をどんどん書いて式を連ねて行く.その一行一行が小さな問題解決であり、自分の科学の小さい進歩だと思う.そうやって小さな問題を無数に解決した結果、ようやく大きな景色に到達する.小さな問題を全部やらないと、大きな問題の解決方法には到達しない.だから、常識を破る事だけを考えるのは間違いである.

鹿野さんとイベント翌朝にツイッターでお話ししていたとき、その切り替えスイッチが大事だという話題になった.自分にはそのスイッチが欠けていたと思う.マクロとミクロのスイッチ.

なんでスイッチに気付かなかったのか.思えば、スイッチを実践しているBerkovitzという著名な研究者が居たではないか.彼とサンタバーバラで部屋を共にし、スイッチを切り替えている彼を、僕は目の当たりにしていたではないか.

きっと僕は今まで、スイッチは自分で作るものだと思っていたのだと思う.そしてそれは本当だと思う.でも、スイッチが自分で出来上がってくるのを待っているには、科学のコミュニティは小さすぎた.自分の内的なプロセスを客観的に見るには、同業者の間のみの世界では困難だという事を思い知った.

美を感じる事は楽しいし、科学とアートの類似からコラボレーションが生まれることは素晴らしい、そう感じて自分を外に放り出してみたが、まったく想像していなかった気付きがあった.そしてそれはこれからもあるんだろうなという予感が、すごく大きく在る.