アインシュタインと世界線を交錯させてみた.

スイスの首都ベルン.11月は既に凍えるほど寒く、世界遺産に指定されているという美しい旧市街をのんびりぶらぶらする訳にもいかない.分厚いコートを着て急ぎ足で行き交う人がほとんどである.きっとアインシュタインもそんな風にこの街を歩いていたかもしれない、と思うと、寒々しい街の風景も何となく羨ましく見えた.


反物質と重力 2013(Antimatter and gravity 2013)という名の国際研究会に呼ばれてベルンの街に再び足を踏み入れたのだが、来るまではあまり乗り気ではなかった.だいたい反物質の研究をやっている訳でもないし、超弦理論の研究者が反水素実験について何か具体的な提言が出来るとは考えられなかった.講演が憂鬱だ.しかし、いざ研究会の日が近づいて来てみると、何とか貢献できないかと考えるようになった.そもそも2年ほど前の松江の反物質研究会に、理研で反水素実験の研究をされている山崎さんのお誘いで講演をしたのがきっかけである.今回、Bern大学の研究会に足を踏み入れてみると、意気の上がった実験屋が熱心に議論しており、松江の時の感覚と同じく、なんだか見ていて羨ましくなってしまった.

物理をやっていても理論屋と実験屋ではスタンスが大きく違う.そのことは数理科学の今月号(2013年11月号)でも採り上げてみたのだが、そこで語られている萩原さんのような理論屋と、超弦理論の研究者では、さらにまたスタンスが大分違うように思う.実験とのコンタクトを考えない理論屋は数理物理学者と読んでも差し支えないと思われるが、超弦理論の研究者の大半はそこに属する気がする.しかし、この7〜8年ほどで状況はずいぶん変わって来ており、僕も含まれるたくさんの超弦理論の研究者が、ハドロン実験や物性実験とコンタクトが生まれ始めている.しかしこの状況は超弦理論研究者には新しいものである.僕は研究者として大学院で生まれた頃から、単位の無い世界で生きて来たため、実験と理論の関わりについて一から学ぶ必要があった.まだ学んでいるところである.今回の反物質国際会議でも、超弦理論と反水素実験の関わりを一から考える良い機会になった.分からないことだらけではあるけれども.

研究会での僕の講演はサマリートークの直前だったので、研究会の雰囲気を十分に反映させることが出来たと思う.分野違いの研究会ほど怖いものは無く、行ってみないとどんな議論がどんな研究者の間で交わされているか分からないものだから、ターゲット聴衆をどう設定するかがかなり曖昧になる.現地に行ってみて聴衆の一部の方々と話してみて初めて、どうすればメッセージが伝わるかが分かることも多い.今回は疑いも無くその種類の講演で、読んで下さったAmslerさんにあってすぐに相談してみた.

講演では自分なりの個人的なレビューと意見を取り入れてみたが、おそらくは聴衆の皆が面白いと思った訳ではないだろう.Amslerさんを含め幾人かの人が講演後、とても良い感想を伝えてくれたのが少し自分を安心させてくれるが、結局のところ、長い目で見て、自分のこの講演が彼らや自分にどういう効果があるかを考えると、なかなかもろ手を上げて喜べない.


ベルン大学の研究会会場は、大学の非常に古い建物の一番上、ドームの中に作られた美しいスペースだった.よく言えば教会のモダンな聖堂のような感じである.アットホームな雰囲気で研究会が進む中、分からない検出器の説明のシャワーを浴びていると、外国に居るということのせいか、客観的に自分を見ることが出来るようになった.このような外国出張の良い効能はきちんと活かさねばならない.

来るまではベルンはアインシュタイン特殊相対性理論を発見した地であることなど気にも留めなかったのだが、ベルン大学の先生が「このレストランが、アインシュタインが昼食をとっていたお気に入りの場所だよ」と教えてくれたのをきっかけに、何となくアインシュタインで頭の中がいっぱいになってしまった.思えば、重力のギリギリの講演を、超弦理論をずっと学んで来た僕が、アインシュタインの地で出来るなんて、非常に幸福なことだ.有り難い機会を戴いたものだと思う.

講演が無事済むと研究会が終わってしまったので、アインシュタイン巡りを敢行してみた.アインシュタインの住んでいた家、ランチをとっていたカフェ、勤めていた特許庁.そして偶然にも「Gravity」という映画(邦題はゼロ・グラビティ)をやっていたので、ふらりと映画も観てしまった.アインシュタインもよもや、100年後にそんな3D映画をやっているとは思いもしなかっただろう.


アインシュタインの家の居間で、椅子に座って天井を眺めていると、アインシュタイン世界線が絡んだということがとてつもなく信じられなくなって来た.アインシュタインが実際にこの部屋でお茶を飲みながら計算をし、原稿を書いていたということがまったく驚異的に思えて来た.たんなる一人の人間が、宇宙の原理をここで見つけてしまったという、単にその厳然たる事実が目の前に提示されて、自分がとても耐えられなくなって来た.


アインシュタインは立ちながら小さな背の高い机で書き物をしていたという.その書き物台には、来場者のための記念書き込み帳が置かれていた.自分の名前を書いてみようとペンを手に取って書き始めたとたん、なんと自分はちっぽけなのだろうと、非常に空しくなった.それでも、いやしくも感想文を一言書き終わって、ペンを置いた時、さらに空しくなった.

ベルンは聖地である.