南部さんとBaryons'10研究会。

緊張で手のひらをびっしょりにしながら、広いカンファレンスホールの壇上に昇ると、最前列に南部さんのほがらかな笑顔が飛び込んできた。南部さんのあの大きな眼が、いままで幾多の偉大な物理を見通してきた事を想像して、何とも包まれるような気持ちになった。このBaryons'10研究会で、自分の模型について世界のバリオン研究者たちの前で講演できる事を大変幸せに思う。
そもそも南部さんの1957年の論文を知ったのが僕には遅かった事が、どうも僕の中での南部さんの存在をより大きくしている。超弦理論で核子の斥力芯を導出した際(酒井さんと杉本さんとの共同研究)、ωメソンの交換がleadingであることが導出できて、それは俗にいわれている事と一致している事を喜んでいた。しかし「俗にいわれている」というのはもちろん科学的にまずい。斥力芯がωメソンの交換であるという予言をしたのは誰なのか。
論文を出した後、minor revisionをする際に調べると、すぐにそれが南部さんである事がわかった。これは、大変大きな衝撃だった。なぜなら我々は、南部さんが創始した弦理論を使ってAdS/CFTからハドロンを解析し、核子間ポテンシャルを計算した結果、ωメソンによる斥力芯がある事を見つけた訳だが、そのωメソン自体が南部さんによって50年前に予言されていたものだったのだ!!
この1957年の南部さんの論文は、驚くべき事に、1ページしか無い。たった1ページに多くの予言の記述が凝縮されている。論文のクォリティの高さには舌を巻くしか無い。その短い論文の一つの段落を読んだとき、我々の研究がなんとも50年前から見通されていたかのような感覚を覚え、呆然とした。そして、その後嬉しさがこみ上げてきた。なぜなら、我々はQCDから出発して超弦理論で計算を行い、斥力芯がωメソンで出るという事を前もっては知らずに計算を遂行し、結果としてそれが示されたからだ。
しかしその予言が南部さんのものである事が、なんという歴史のいたずらか。孫悟空がお釈迦様の手のひらの上で遊んでいたように、我々は南部さんの手のひらの上で遊んでいたのだろうか。そうかもしれないし、そうでないかもしれない。超弦理論は、40年前からは信じられないほど進化し、そして40年経って、ハドロン物理に戻ってきた。40年という、我々の人生の長さから見るとギリギリ経験できる時間のスケールで、このような科学の循環が起こったこと自体が奇跡的で、そこに自分の世界線を絡める事が出来るのは、科学者として幸せだ。
結局、Baryons'10研究会で講演した後すぐに理研にとんぼ帰りだったので、南部さんとは一言もお話していない。けれども、僕の講演の時に大きな眼で微笑んでくださったことが、僕にとっては十分な、南部さんとの科学的会話だった。