ベトナム.

ビーチに打ち寄せる波の音を聞きながら、ゆっくりと30年前の論文を読んでいる.こんなのはサンタバーバラポスドクをしていたとき以来なんちゃうやろか.

ここはベトナムのQui Nhonという街で、日本から一日半かけてやって来た.Elastic and Diffractive Scattering という会議で、そもそも僕の研究からはちょっと遠いのだが、non-perturbative QCDと言えば僕の研究分野な訳で、それでオーガナイザーの方に呼んでもらって、端っこで座っている.実験の話が半分以上なので、基礎的な言葉がわからず、また分かるつもりも薄く、何とものんびりと興味のある講演だけ聞きに行くという贅沢な時間の過ごし方をしている.スケジュールの中には理論セッションもあり、そこは楽しい.明日はchairをするし、明後日は自分の講演がある.

自分がベトナムに来ることなんて、想像もしていなかったし、またこれからもあるのかどうかすら分からない.ホーチミンでの飛行機の乗り継ぎが23時間という悲惨なものだったので、ホーチミンで一泊せざるを得なかったのだが、こういう機会だからと戦争証跡博物館を訪ねてみる.閉館30分前だったが、やはり行っておくべきかと思って.すると驚いたのは、この博物館にはアメリカ人が多く訪ねて来ていることだった.確か韓国で戦争の博物館を訪ねたときには、日本人なんて誰もおらず、韓国人の小学生が大挙して見学していた.ここホーチミンはそうではなく、このあたりが政治や国民性が見え隠れするところかも知れない.現地で見ないと分からない、感情がうずまく.今までそんなことを何度も経験して来た.
Qui Nhonの現地の最寄り空港には、ホテルの歓迎が待ち受けていた.花の首飾りをかけてもらったの、初めて.で、バスに乗り込んでホテルに向かうのだが、中途に通る村があまりに前近代的なので驚く.電気もろくに通っていないような暗い村に、笠地蔵の話に出てくるような笠をかぶった現地の人々が、自分の背の高さより高い荷物を載せて、バイクや自転車で往来する.トタン屋根に、水たまりばかりの泥だらけの道.ベトナム戦争アメリカ映画で見たような村の光景がそこには広がっていた.ほんまはアジアはこんなところがほとんどなんや、という、多分当たり前の事実が眼前に展開されて、言葉が無かった.広がる水田やその向こうの山々は見慣れた風景ではあったが、日本の僕の知る田園風景との違いがよけいに際立って見えた.

近代的なホテルに到着すると、どうやら他の研究会も同時に開催するらしいことが、垂れ幕で理解された.不思議な感覚である.近いけれどもこんなに遠いところまで来て、知っている人たちと偶然に再会する.静かに一週間過ごそうと思って来たが、他にも研究会があってそちらにも知人友人の講演が並んでいると、ついついそちらにも出たくなってしまう.それにしても静かに部屋で波の音を聞きながら研究が出来るのは素晴らしい.インターネットが、遅いなりにも割と使えるので、論文を参照するにも不便が無い.けれども研究以外の仕事がひっきりなしにやってくるのに対応しなくてはいけないのは、インターネットの弊害である.こんなベトナムの田舎まで来て、こうやって日記をすぐにアップできるのも変なものである.それにtwitterを通じて、いつもおしゃべりしている人たちの会話をそのままここに持って来れるのも、不思議な感覚である.ベトナムの波の音が、湘南の波の音と一瞬聞き間違えるかのごとく.
せっかくいろんな会議をサボらせてもらってベトナムまで来ているのだから、30年前の論文の続きをゆっくり読もう.打ち寄せる波を見ながら論文を読むのは、本当にポスドクのとき以来だ.波の音は、悠久のときの流れを感じさせるだけでなくて、10年前の自分に一瞬で連れ戻す効果があるらしい.
物理をのんびりやろう.嬉しい.