KEKセミナーの準備。

来週の火曜日のKEKセミナーの準備のために、トラペを書き直している。そもそもこのグルーボールの崩壊をゲージ重力対応で記述するという寺嶋さんとTanさんとの話は、既に理研日本大学で話をしたので、トラペがあるのだけれど、KEKでは英語で話をということなので、英語に書き換えないといけないのだ。ついでに、いろいろと校正を練り直す。聞いてくださる方に優しいトラペになるといいのだけれど、と思いつつ手を入れる。聞きたいポイントは人によって絶対に違うはずなので、それを想像しつつやっていると、うなってしまう。案外とトラペの枚数が多くなってしまった。いかんなあ。もう少し削れるところを探そう。それにしても、KEKセミナーというのは久しぶりなので、楽しみ。

去年の秋に「学問の系譜」という基研の研究会に呼んでいただいて話したのだけれど、そのテープを起こしたものが届いて、びっくり。校正お願いしますとのことだけれど、まあ自分の話の日本語の壊れていることといったらひどい。確か昔友人が、僕の話には「これ」という言葉が多発していると指摘してくれたのだけれど、それがほんまに良く分かる。言い過ぎやろ、おまえ・・・みたいな感じ。しかも、主語と述語がつながっていない文章が多い。もちろん、話し言葉と書き言葉は違うので、きっとこんな文章でも、会場でそれを聞いたらそれほどひどくなかったと願いたい。これは素粒子論研究に、その話の雰囲気をなるべく残した形で載せるということらしいので、自分で修正するわけにも行かない。仕方ない。それにしても、これだけのテープ起こしって、きっと大変だったろう、ありがたい限りである。むかし大学院生だった頃、テープ起こしを九後さんのとNikitaのと二つやったことがあるけど、あれは大変だった。しかし、話し手のはなす雰囲気を残したいというその欲求は非常に良く分かる。僕の話が、素粒子論研究の一部の読者にとって有用であることを願うばかりだ。

サイエンスチャンネルの「偉人たちの夢」という番組を時々見ているのだけれど、その坂田昌一の巻で、なんと早川さん登場!しかも、テレビに写っているの、今僕のいる部屋やん!って、びっくりしてしまった。なんかテレビって、やっぱり自分の生きている世界とは隔絶されて特別な場所というイメージがあるので、こうやってその場所がいきなりテレビの画面に写ると、非常に不思議な感じ。

水曜は駒場に行き、Masaさんのセミナーを聞く。その後いろいろと教えてもらい、夜は久しぶりに一杯。Masaさん、理研にまた来てくださいね。

近所の古本屋で、プリゴジンの例の本を見つける。これって、昔買いそびれたやつやわ、買おうかどうしようか、と悩み、結局やめた。買っときゃよかった。今週は、HardyのA Mathematician's apologyを読み終える。この本が書かれたのはずいぶん昔なので、当時の常識が現在の常識と違うという面でも楽しめたが、うなってしまったのは、数学者のほうが「現実」に近い、と主張するくだり。これには非常に納得の行く感触があるんだけど、おそらくそれは弦理論をやっているからだろう。もちろん、こんどKEKで話すような弦理論は違う意味の現実に近いのであって、それから考えると、弦理論という一つのものが、二つの意味の「現実」をつなげているということは、非常に驚きだ。Hardyの弁明には賛同できる面もあれば、まったくとんちんかんだと思う面もあり、そういう意味でも、僕は数学者ではなく物理学者なのかなと思う。