計算する。

今日もよく計算をする。答えがゼロになるのはがっかりだった。まあ後から考えるとそうなるはずのものだから仕方ないのだけれど。いろいろと思いついたことを計算してみる。なかなか楽しい。実験とあっている感じがする。それも嬉しい。しかし肝心の知りたい領域はまだ良く分からない。今日はそのあたりを攻略しようと思ってあれこれ案を練る。結局、夜に娘を寝かしているときに計算の方法が分かる。時間を無駄にしていると思っているときこそ実は時間を有効利用できるときなのかもしれないと思った。今日はもう眠いしトラペの修正もあるので、明日の新幹線で計算してみようと思う。明日は東北大でセミナー。

このところ、湯川日記を読んでいる。先日小沼先生からの寄贈で理研の研究室のお茶部屋においてあったのだが、自分で買い求めて読んでみる。今日、読了。なんというか、励みになる点もある反面、自分の研究生活と照らし合わせて、むなしくなる点もある。淡々と進むその日記の裏にどのような生活が隠れているんだろうと、わくわくしながら読む。なじみある地名、例えば国分とか上六とかが登場し、臨場感は非常に沸く。子供が小さいことなども境遇がなんというか自分と重なる点もある。非常に几帳面な人間であることが分かるが、それにしても、なんともこの読後感の若干のむなしさよ。

読み終えたのが、インド大使館でビザの申請をしようとして書類不備が分かった後だったからかもしれない。湯川の頃には、研究でインドに招待されるなんてことは無かったわけで、毎日、一つの問題に一年間フルに集中して研究を費やしていた湯川と比べて、なんとも妙な気分になった。もちろん時代が全然違うのだが、それにしても、ビザのことで頭を悩ましている暇があったらもっと研究しろよ、という言葉が頭をよぎって仕方がない。いやもちろん、湯川も家族のために相当の時間を割いていたことなども記述されているし、研究研究計算計算という人生では無かったということは良く分かっている。しかし、何かこの読後感のむなしさよ。図らずも、原子核からパイオンがどう放出されるかを研究をしているというこの偶然。70年前の問題という言い方もできるし、70年前から分かっていない問題という言い方もできる。そうして、またそのことを自分の日記に今書いているというこの境遇。

日曜は、昔の駒場の学生さんに誘ってもらい、飲む。久しぶりに会えて楽しかった。週末は娘とプールに。プールで泳いだのは本当に久しぶり。理研近くの緑が美しい。Tシャツで歩くのが気持ちいい。