京都の帰り、新幹線にて。

今朝、NHKのニュースでの益川さんへのインタビューで益川さんが涙を目に浮かべて声を詰まらせているのを見て、無性に京都に行って益川さんの顔を見たくなった。それで、新幹線に飛び乗った。夜中に、益川研の最後の学生同期の友人から、パナホールで益川さんの会見が開かれるという情報をもらっていたので、それに行ったら益川さんの笑顔を見れるのではないか、と漠然と思ったまま、9時発の新幹線に滑り込む。そこでパソコンを開いてメールを読むと、なんと会見開始は11時からという情報が!それって、まにあわへんやん・・・

京都駅で必死で走り、基研までタクシー。いつも歩きなれていた道をタクシーに乗るというのは不思議な感覚。タクシーのうんちゃんに事情を話して飛ばしてもらう。基研の前にタクシーをつけてもらって、会場に滑り込んだのは、12時少し前やった。するとそこに益川さんの大きな声が。間に合ったー。

ものすごい数の報道陣に取り囲まれている益川さんには、もちろん声をかけることすらできなかったけれど、拍手が沸き起こったときには、心からの拍手に参加させてもらった。益川さんの相変わらずの益川節と、茶目っ気たっぷりの笑顔を見て、やっぱし今日は京都に来てよかったと思った。朝、ニュースを見て、なんとなく、今日京都に行かなかったら一生後悔する気がした。それはあたっていたと思う。

会見をはたで聞いていてかなり興奮してしまった。基研の人たちと食事をして、3時からは益川さんの学生との対話セッションを聴きに行く。会場は文字通り学生であふれていて、おそらく会場に入れなかった人の数は入っていた数百人の数倍はいたようだった。そこでも懐かしい益川節を聞く。銅鉄主義、眼高手低、必然の哲学。すごい数の学生が益川さんの話に聞き入るのを見て、心から、たくさんの学生に科学に興味を持ってほしいと思った。またまた感動してしまった。えらい経験をしたと思った。ずうっと心に残る感動やった。

益川さんは僕がM2になるまで理学部にいらっしゃったのだけれど、実質指導してくださったのは研究対象の関係で畑さんやったので、益川さんにはなんというかフォーマルには益川研のくせに研究指導をしてもらっていない。研究で無い指導は新春放談会とかでいろいろと。三つの言葉を良く覚えている。一つ目は、有名な「時空は泡立っている」。これは説明いらんでしょう。二つ目は、、、あ、あんましここに書いたらあかんわ、大事に自分の中で持っとかんとあかんわ。今日はそういうような言葉がありありと思い出された。なんちゅうか、益川さんと議論しとけばよかった、とか、そういう風にはあんまり思わない。ただ、あの研究室に入学できたことはほんまにラッキーやと思っている。ノーベル賞を受けたのに、ますます等身大の益川さんを感じることができるというのは驚きの感覚やった。物理をやっている自分を、見直すいい機会になった。京都に戻ると、いつもそう思うけど、今日は特別やった。京都って、三愛のことやなくて、501のことよ。いや、今日の三愛の「からいなべ」も最高やけどね。

夜は益川研同期と祝杯。そりうし万歳!