年末。

土・日・月と三日間開催された理研研究会は、盛況だった。投票制というまったく新しい形の研究会は、いろんな意味で成功した。7分間の講演時間は学会より短く、初日は非常に濃いスケジュールだったけれど、学会とはずいぶん違う雰囲気に圧倒された。7分にかける発表者の思いがそうさせたのだろうと思う。僕もずいぶん緊張して、マイクを持つ手がガタガタと震えたのが聴いていた皆さんに見えたのではないかと思い恥ずかしかった。

いつものセミナーや研究会での発表よりずいぶんと緊張したのは、やはり投票により自分がjudgeされるということだけでなく、7分間にいかに自分の研究が面白いかを凝縮できるかという、失敗の許されない「濃さ」が要求されていたからだと思う。通常の研究会や学会でもこれくらいの緊張感が、話し手にも聞き手にもあれば、相当満足できる研究会になるはずなのは間違いない。

昔の学会や研究会はそうであったと年配の方は口々にいう。それは、やはりしっかりとした意見の言える方が聴衆にずらずらと居て、間違ったことを言えばすぐに打ち落とされてしまうという緊張感があったからだと言う。今の研究会や学会にはそれが無い。無い、というと語弊があるかもしれないが、今回の研究会を経験してみて、やっぱり、無いのである。投票と7分というのは、自分が試されているということを思い知らせてくれる良いconstraintなのだ。良い緊張感の研究会というのはとても楽しい。このところ研究会が多すぎるけれど、その中でこのような緊張感のある研究会があるといいなと思う。

7分の時間内に講演を終えることができたのは、ひとえに理研プレゼン道セミナーのおかげ。我々の素粒子論業界は、プレゼンが非常に重要であるにもかかわらず、プレゼンの方法を教わる授業が大学院に無い。これは、考えてみれば、非常に不思議だ。企業では当然のことだろうに。理研に来て初めてこのプレゼン道の勉強をして、この一年はほとんど、そのストラテジーに則って発表をしている。不思議なことに、わりと受けがいい。不思議なことに、というのは、プレゼンセミナーを受ける前は僕は完全にそういうストラテジーを馬鹿にしていたからで、効果があると思っていなかったからだ。理研プレゼン道セミナーの内容は、実は理系研究系企業のプレゼン道セミナーとほぼ内容が同じらしい。ちまたの本に書いてあることと同じ。結果論として、我々の業界がそんなに特殊であるというわけでもないらしい。

結局、初日の雰囲気に圧倒されて、二日目のトークの準備を、寝る時間を相当削ってやることになった。一時間用スライドは研究会前に作成してあったけれど、初日が終わってみると、到底満足できるものではないように見えた。初めから書き直す羽目になった。終わってみれば、書き直してよかったと思う。体調はちょっと崩したけれど。

研究会も終わり、なんだかほっとして、一年が終わってしまった感が突然襲ってきた。24日はIPMUに、立川君の話とHananyの話を聴きに行く。あたまがふわふわしていて、聴いている話が頭に割と素直に入ってきたせいか、面白く聞けて、しかも自分の研究との関連性が見えてうれしかった。

雑誌「科学」が送られてきた。感動の一冊。業界の知っている人がこんなにたくさん寄稿している雑誌は今まで見たことが無い。それほどこのノーベル賞は待ち望まれたものだったとしみじみ実感。読みながら、いろんな写真、逸話、想い、に感動する。自分の書いた日記風のが浮いてしまっているようにも見える。

25日は駒場に行き、いろいろと話していると、自分の方向性を大きな視点から必然的に振り返ることになって、ますます頭が年末モードになってきた。今年は理研に移って過ごした丸一年だったわけで、それで駒場時代と自分がどう変わっただろう。来年はどんな方向性でやるんだろう。それをどのくらいはっきりと決めるべきなんだろう。そもそも研究の方向性はどう決めるんだろう。どう決めたいんだろう。

みなさま、今年はいろいろとお世話になりました。来年もどうぞ議論に付き合ってやってください。よろしくお願いいたします。