テヘランにて。

講義が全部終わり、ようやくほっとしている。テヘランの夜中。
結局のところ、不安に思っていたいろんなことは、実際に来てみると、何のことも無い、ただの疑心暗鬼だった。イランだって、普通に現代の人が生活し、物理をし、何の変わりも無い、やはり優しい物理学者がたくさんいる国なのだ。ここに来る前にいろんなことを感じていたが、非常に情けなかったように思う。不安というものは、実際に経験していないことから来る感情だから、なんと言っても仕方の無いことなのだけれど、やはりいろんな偏見もあって、どうしようもないという点だけではないというのは痛切に感じた。
振り返ってみる。結局テヘランの国際空港に到着したのは深夜の3時半で、北京を出てから完全に熟睡していて、テヘラン上空に来るまで全く気づかなかった。北京までは快調に論文を書いていたけれど、どうも疲れてしまったらしい。しかしテヘラン上空で目を覚ましてからは、完全に目が冴え切ってしまった。見知らぬイスラム圏の国イランに入国するという不安で一杯だった。入国審査は全く問題なかったが、これは、イランの研究所からきちんと書類を事前にもらっていてそれでエントリービザをもらっていたことが大きい。ただ、入国するときにイランのお金以外のの所持金を申告する義務があると地球の歩き方に書いてあったのだが、それを税関の人に聞いたところ、「それは入国審査の前に申告しなきゃいかんのだよ」といわれてしまった。おかげで、所持金申告をせずにイランに入国してしまった。出国するときに、日本円+ユーロ+USドルを取り上げられなければいいんだけれど。
空港の出口ではありがたいことに僕の名前を書いた紙を持っている人が来てくれていた。4時間も飛行機が遅れたのに、ありがたい。さっそく、ありがたいという話をしようと思って話しかけると、「ノーイングリッシュ」と言われて、ああやはり全く違う国に来たのだなと感じる。回りの標識を見ても一切何を書いてあるかすら分からない。タクシーに乗り込むと、運ちゃんは、イランのラップ(?)音楽をガンガンにかけながら、時速160キロで高速道路を爆走する。最高速度制限が何キロなのか、ということも、標識も読めないと、案じる理由もなくなってしまう。完全に、周りの物の流れに身をゆだねるしかなかった。外は暗く、テヘランの不気味な建物がそら恐ろしかった。しかし、1時間ほど走って「ここで降りろ」と身振りで示されて降りたところは、割ときれいな建物で、きちんとガードもおり、入り口まで警備員が迎えに来てくれて、部屋まで連れて行ってくれた。入るとこぎれいな部屋で、まったくヨーロッパの安ホテルと見劣りしない。テレビこそ無いけれど、普通にお湯の出るシャワーがあるし、ベッド、机、そしてインターネットもすぐにつながった。全く問題ない。これはうれしかった。朝の講義まで数時間しかなかったが、それでも少し寝ることにした。
朝になり、着替えて外に出てみると、同じ階の広間で朝食が用意されていた。どんな食べ物かと不安だったが、見てみると、普通の日本のパンの朝食でパンがナンに替わっているだけだった。わりとナンがうまく、きちんと腹ごしらえをする。ふと横を見ると他の講師の方々が朝食をとっていた。
講義は割りとうまくいったと思う。たくさん質問も出たし、自分の言いたいことは全部言えた感じがする。なかなか良い議論も出来たし、holographic QCDの楽しさを皆さんに理解してもらえたのではと思う。はるばるイランにやって来て良かった良かった。
Gary Gibbons にひさしぶりにあって、3年前のプロジェクトの話をする。もうこれで論文を書こうかと言う話になった。まあどうなるかは分からないけれど、ここに来て彼にあえて少し議論できたのは、収穫だったように思う。イラン人のいろんな研究者、今まで論文で名前しか知らなかった人、にあえていろいろと議論できたのも楽しかった。Garousiにも初めて会って話が出来たし、あとはMohsenやHassanとか。Hassanは、僕のニックネームが昔からHasshanだということで、勝手に僕のほうで親近感を抱いていたのだけれど、彼にその話をしたら笑っていた。しかし、イランに来て実際にHassanと話して議論をすることになろうとは、想像もしなかった。
こちらの秘書さんは非常に親切で、いろんなことを全部きちんとアレンジしてくれて、本当に助かった。一つ重要だったのは、僕は帰りの飛行機の日にちを覚え間違えていて、秘書さんに教えてもらったということだ・・・・僕は帰りはあさってだと思っていたのだけれど、ほんまは明日やった!!!帰りの飛行場までのタクシーの予約はどうしますか、と秘書さんに尋ねられなかったら、僕は帰りの飛行機に乗っていなかっただろうよ。まあそれはこちらの秘書さんが親切だったという話ではなくて、僕の勘違いがかなりまずいレベルに達しているという話なんだけどね。
先ほどの夕食は、ケバブの店でたくさんご馳走になり、おなかがはちきれるまでケバブをいただいた。ヨーグルトと一緒に食べるなんて、新鮮。非常においしい。カスピ海ヨーグルトとか日本ではやっていたけど、こちらではヨーグルトが生活に密着している。夕食のテーブルでは政治の話。もちろん皆の関心は北朝鮮と日本の関係で、僕が全部話す羽目になったのだけど、日本では政治の話は半分タブーであるということを言ったら、じゃあ夕食のテーブルでは何か話すことがあるの?との質問が。おそらく日本は奇異な国柄なんだろうね。結局のところ僕も、政治の話をするのは外国にいるときだけ。
政治の話だけではなくて、holographic QCDのおかれている立場と将来性、そしてそれをどう解釈するかについて、いろいろとたくさんの人と議論できたのは非常に良かったと思う。Senはやはり面白い意見を持っていたし、自分の考え方を見直すことも出来た。Belavin氏やLarsen氏Bakas氏と議論できたのも良かったと思う。人によって非常に違う見方があって、しかもそれが同じ物理のことを語っているというのが、かなり新鮮。
来週アメリカに行くのだけど入国できるかどうか不安だ、と話をしていたら、Senが、僕は何回もやっているけど何も言われたことは無いよといってくれた。それを聞いてずいぶん安心した。その直後、今日の新聞(イランタイムズ)をふと見ると、「イラン原子力に成功」の文字が躍っている。記事をよく読むと、アメリカはもちろん懸念の意の声明を出したとか、いろいろと書いてある。なんだかまた不安になってきた。今日講義で話した内容といい、うーん、微妙だ・・・・ある人に聞くと、その人はパスポートを二つ持っているらしい(彼の国では可能だそうだ)。それで、アメリカに行くときと、イランに行くときは使い分けるのだそうだ。なるほど、そんな裏技があるのか。日本では出来ないっぽいけど、聞いてみる価値はある。だって、ビザを申請しているときに外国に行くことになったら、パスポートが二つ必要になる、という論理は日本でもありそうなものだからだ。まあ、来週どうなるかはおたのしみ。Nobody knows.
いろんな人といろんな議論をし、充実した二日間だった。もう明日イランを出発する。今日、一人でイランの町を歩いていて、とんでもなく非日常を感じてしまった。イランを歩いている自分が信じられなくなって、ふと呆然と立ち尽くしてしまった。