どうも思ったように進まない。

やることがいろいろ山積みになっている。なんでそうなったかというのは明白で、連休に普通に家族でゆっくりしたので、連休がなかったらこれだけすすんでいただろうと思う分が「遅れている」のだ。この一週間、もちろん出張はなかったけれど、連休だったので、それでいろいろと手についていない。今日も、時間を見つけて論文を書いたり計算したり、考えたり。来週一週間は、科研費の書類とか、またいろいろあるなあ。
先週のハイパー核の会議は、前にも書いたが、常識の違いを発見して楽しかった。僕も、5年前の自分に比べたら、ずいぶんとこの世の世界の物理に近くなったとは思うが、それでも、ハイパー核の会議は、やっぱりずいぶん常識が違った。他の方のトークに比べると、当たり前だが、僕のトークはかなり論理の話だったので、一言で言うと浮いていた。それを楽しんでくれた人もいらっしゃろうが、本来のハイパー核の実験結果と付き合わせることの出来ていない僕の結果には興味がないという人もいるだろう。ハイペロンの論文を今準備中で、それがもし先に出ていたら、そこで少し宣伝したらよかったかもしれない。会議で、知っている方に、計算するネタは発見できましたか、と聞かれて、ふと我に返った。そう、この会議に来た目的は、ハイパー核の理論において、どのような根源的な問題があり、どのような手法があって、どのようなレベルで実験結果を再現できているか、ということを見極めようと思っていたのだった。しかし、分からない言葉の渦に巻き込まれて、案の定初心を忘れかけていたところだった。そう聞いてもらえてありがたい。改めて考え直してみると、こんなたくさんのトークのシャワーを浴びてみても結局のところ、参加前に予想していたようなことが確認できただけだった。QCD的理論からの、近似の意味が理解できるレベルでの、核力の「導出」は非常に重要である、と。
知のオデュッセイアが送られてきた。送られてくると知らずに、なんだろうと思って封を開けてみると、東大出版からの献本で、昔、小林康夫先生にインタビューを受けたときのUPに載った記事が再録されている。自分の言葉がこういう風に世に出るのは、うれしいことだ。しかも、自分の語った形でなく、ある意味で客観的に。読み返してみると、独房のような研究室、という表現に目が留まった。確かに、素粒子物理学者以外の人が見ると、全国のほとんどどの素粒子理論研究室も、そう見えるかもしれない。しかし、その、どの部屋にも必ずある黒板の上に、数限りないアイデアが展開され、そこはまさに花が咲き乱れるようになっているということを、素粒子理論屋はすぐに気付く。部屋に入ってすぐに見るのは、本棚と黒板なのである。本棚は、その人のたどってきた知識の歴史が凝縮されている。そして、黒板は、その瞬間に、黒板の持ち主が興味ある事象、解きたい美しい数式、そしてその人の計算様式や性格さえも見て取れる、筆記字の特徴、が体現されているのだ。美しき独房に、自ら閉じこもる人たちが、素粒子理論屋なのだ。
先日は岡村さんにセミナーに来ていただき、ホログラフィック超伝導体のことについて議論をさせていただく。我々もずいぶん前からやっていて、それであることで論理的な困難を発見し、またその困難を「適当に」切り抜けた論文が世に出てしまったことでやる気をそがれ、プロジェクトがストップしてしまっていた。もうすぐ出る岡村さんたちの論文は、かなり違う切り口で面白い結果を得ているらしい。読むのが楽しみだ。