リージェントパークにて。

ベーカー街の北にあるリージェントパークのベンチに座っている。イギリスの寒々しい曇り空の下、強く寒い風が吹き付けている。ベンチに座っているだけで凍えそうだが、それでも、イギリスに来たときにこの場所を訪れないことは無いので、やっぱり自然と足がこちらに赴いてしまった。目の前の小さな池には、何百という数の鳥がぷかぷかと浮いている。あまり楽しそうに見えないのは、空が寒々しいからだろうか、それとも、えさを求めてパソコンを打っている僕の前にも寄ってくるからだろうか。19才で初めてここに来たときは、221番地のアビィナショナルもまだあったし、ホームズ博物館の前の土産物屋も楽しかったが、もう無くなってしまった。ロンドンは、やはり大都会なのだ。たくさんの人が入ってきては出て、そして通り過ぎていく。僕も、来ては通り過ぎてきた。19歳の時には、ハイドパークで池を見ながら、車の騒音を後ろに、のんびりベンチに座っていたものだ。自分ではあの時とは人間としてずいぶん変わったように思っていたけれども、こうして15年ほど経って同じことをしている自分を発見すると、不思議な感覚に陥る。それにしても、自分には同じ面があっても、やはりロンドンはどんどん変わっていくのだ。

4年ぶりに訪ねたケンブリッジは、そうではなかった。4年前と、何も変わっていなかった。住んでいたグリーンストリートの9番地のドアは、全くそのままだった。DAMTPの斬新な建物も、STジョンズカレッジの庭も、昔アレンと議論した黒板も。うれしかった。

二日だけの滞在というのはせわしないが、短いなら短いなりのメリットもたくさんある。DavidやMantonとの議論は非常に面白い展開を見せたので、それも、来て大変よかったように思う。セミナーはわりとうまく行った。笑いの数がセミナーの成功率と直結しているとは言わないが、間接的にはそれはつながっている。原子核素粒子のつながりを超弦理論が与えるという点の面白さが伝わったのではないかと思う。一日目はしこたまDavidと議論をする。彼のやっていることとたまたまつながっていて、それが大変面白かった。問題設定を変えないとなかなか僕のやっていることと直接は結びつかないけれど、こういう議論は広がりがあって大変楽しい。彼がTrinityに入ったので、夜はカレッジディナーに招待してくれた。スーツを借りて食事。4年前には一度中に入ってみたいものだとよく思っていたが、その中にいざ入るとなると、緊張してしまった。しかし、ワインを飲みながらCS vortex の議論をしていると緊張が解ける。フェローって、すごいのねぇ。二日目はDavidと、そしてMantonと、また、しこたま議論をする。昼食は今度はMantonがSt.John'sのcombinationに誘ってくれた。その部屋も500年の歴史のある部屋だと言う。イギリスというのは恐ろしい国だ。500と言う数字の上に何気なく座っているが、そこには数え切れない人間模様と努力があるはずで、ロンドンのように非常に速い世界の変化の中で、この500という数字を501にするということにかける努力の大きさは、計り知れない。Trinityの教会にあるニュートン像を拝むと、いつもその感触がやってくる。

飛行機に乗る前の二時間を利用して、やはり聖地を訪ねてしまったが、今度イギリスに来るときもやっぱりここに来ることになるだろう。今回の短い滞在で学んだのは、昔住んだところを訪ねるということは単に当時の友人を訪ねるということではなく、訪ねるまでに自分の生活に何があったか、何を成し遂げたか、何が出来なかったか、を振り返る絶好の機会を与えてくれるということだ。ケンブリッジのトリニティカレッジの庭の中に立っていると、ふと、まるで自分が四年前の自分であるかのような錯覚を起こす。そのときに経験したいろんな苦労と、そしてどんな研究をしたいと思っていたかという思い、そんなのがごちゃ混ぜになって全部出てくる。ぼーっと立ち尽くしてしまって、どうしようもない虚無感がまず襲い、そして次に、ふと歩き出したくなった。人生というのは、そんな風に進んでいるのだなと肌で感じた。どうも、人生の中で何が大事かということを、日常のあわただしさの中で忘れているということに気がついた。日本に帰ったらまた忘れてしまうんだろうか。