韓国APCTP。

釜山国際空港行きの高速バスは韓国南部の典型的な田園風景の中を疾走している。大型バスで時速120キロで走り続けるのだから、まさに文字通り「高速」バスと言えるだろう。ぼんやりと車窓を眺めていると、奈良の丘陵地帯や大和川に似ているなと思ったり、日本にいるような錯覚を覚える。韓国はやはり近い国。ちなみに奈良という言葉は韓国の古い言葉でcountryという意味だそうだ。
ぼんやりと考える時間というのは非常に大切なはずなのだが、一分一秒を大事にするようなあわただしい生活を送っていると、その大切さが日常に埋もれてしまって、もしくは自分が日常におぼれてしまい、大切なことを忘れてしまいがちだ。まあ、そのために日記を書いている。バスに乗っていると、バスのゆれで、スライドを作るためのマウスポインタの操作性がすこぶる悪いので、雑用もスライド作りもせずにぼんやりと座っている。こういう時こそ、物理が盛り上がってくるときなのだが、今回はどうも研究会で頭を絞ったせいか、もしくは理研を数日離れたせいか、あれとこれをやらないといけないなあというadministrativeなことばかり頭をもたげる。仕方ないのでパソコンを開いて日記を書くことにする。そしたら研究会の議論で得たこともまとまってくるやろ。
研究会に来るまでに少しだけ懸案だったのは、Zahed氏も参加者だということだった。古い友人のKim氏と一緒に彼は核力の論文を書いたのだがそのやりかたには僕は科学的に満足していない。我々の結果とも違うし。という状況のもと、今まで会う機会も無かったのだが、今回初めてお会いすることになった。APCTPに到着してオーガナイザーのRho氏とお会いして握手したとき、「Ismailとは初めて会うんじゃないかい?こりゃ面白いね」との無邪気なお言葉。隣にいらしたZahedさんと握手する。なんとなく緊張した。
僕の参加日程の都合で彼の講演が聞けなかったのは幸か不幸か分からない。とにかくそれに影響されずに自分の講演ができたという意味では良かったのだろう。しかも、僕の講演では、D8上のゲージ理論で直接核力をやるのではなく、3月に発表した行列模型でやるので、既にこちらの研究は彼らのトライアルよりもずいぶん先を行っているとの自負もあった。講演ではZahedさんはかなり楽しい質問やコメント、そして議論をしてくれて、非常に面白いと言ってくれた。つまり、結局のところ、全ては気苦労だった。Zahedさんは、ちゃんとした物理はちゃんと評価する、いっぱしのすごい物理学者だったというだけだった。ふぅー。
そのあとも議論は大いに盛り上がって、行列模型の正当性の議論から記述可能な領域や行列模型の変形、応用の可能性、さんざん議論。
不思議な感覚だったのは、こうして世界の裏側からお互いやってきて初めて出会って、そして初めて話をするのに、一つの数式を見るでその背後の物理と意義を理解し、お互いの考え抜いてきたことのてっぺんの一番先端のところで深い議論ができる、ということを目の当たりにしたときだった。同じ問題を長い間考えてきた人だけが分かる感覚がいきなりshareできる不思議さ。こういうことは以前にも何度かあったのだが、またか、という感じより、ああ何でこんな不思議なことがありうるんだろうという感覚に近い。物理屋の世界で最も面白いことの一つだ。
二日目の講演では原子核の重力双対について話す。APCTPのfocus programの良いところは、参加人数が少ない一方で時間がゆったりとってあることだ。午前中にセミナーが二つ、そして午後はdiscussion sessionとなっている。discussionでは再び僕の話題も取り上げてもらい、その有効性と発展的話題について忌憚ない意見と希望が寄せられた。来てくれてありがとうと言われたが、こちらこそほんまに感謝している。講演者冥利に尽きる。
振り返ってみると、いろいろなコメントのうち重要なコメントが一つ、そして時間がなくて議論できなかった話題が一つ。前者は帰ってから共同研究者と議論しよう。後者は、もう研究会が終わってしまったので残念、後悔するしかない。メールで議論するようなことでもないし。議論の続きをしたければStonybrookに行くしかない。
初めて韓国に来たのはたしかD2のときやったと思う。その頃のことを、そのとき僕を迎えてくださったBumHoonが、昼食のテーブルで他の人に紹介してくれた。あの頃から韓国に何度来たかもう数えられないが、その頃からの友人と今でもこうやって会い、酒を飲み、物理の議論をどきどきしながら酌み交わすのは、大変幸せなことだ。
こうやって議論の至福の時間を過ごしている間に、日本では首相がすげ変わったらしい。世界の変化は速い。イランに行ったのは去年だったが、もう行けなくなってしまった。浦項のバスターミナルでバスを待っている時、目の前には韓国の若い軍人が迷彩服に身を包んで静かに座っていた。彼は、真っ二つに割れた自国の軍艦の映像を流すニュースをただじっと見ていた。