育児と研究と。

娘が生まれて四週間になる。生活環境が激変したことで研究アクティビティを落としたら、それこそ最も自分が自分を嫌いになるので、分担育児を研究の技術にすり替える技術を着々と習得している。
思えば7年前に上の子が生まれた時は、全て妻に任せっぱなし。自分は研究をがんがんやればそれでいいと思っていた。子供が生まれたことは仕事に打ち込むための動機の一つ、という捉え方だった。その頃の日記を見てみると、まさにそう書いてある。しかし今回はかなり違う。家庭の環境がその頃から変わっているということもあるし、研究環境も駒場から理研に移って変わったということもあるが、真の理由はそれではない。むしろ、demandingな環境をいかにさばき能率を上げることが出来るか、を楽しめるようになったという感じだ。
育児はかけがえの無い時間だ。小さな小さな人間としての娘、自分では何も出来ない娘を腕に抱えていると、この時間は他の何物にも代え難いという事実が頭を占領する。一方で、自分にはやりたい仕事があり、家族でやり遂げたい夢もある。で、自分の時間が限られているからどれかをあきらめよう、という考え方は決してしたくない。どれもやる。そのためにはどうすればいいか。そう考える。
誰かがtwitterで言っていた、「育児と仕事を同時にすることは、育児をあきらめることなのです」と。それはある意味正しい。しかし育児には完璧はない。こちらも学んで行くのだ。仕事にも完璧はない。仕事をしながら学んで行くのだ。従って、あきらめるという観点自体を持ち込むことは、疲れた自分をいやす程度の目的でしかない、と理解しておくことは重要だ。健康が第一なので、疲れていると休まないといけない。それはあきらめだろうか。いや、次のステップへの準備なのだ。
夜3時間置きに起きる娘との時間を、幸福に感じることができる今は、成功していると言える。もちろん、妻が献身的に育児をしているから、分担と言っても自身の担当の時間は少なく、それがストレスをかなり軽減しているのは明らかだ。しかし明らかに7年前とは違う自分がいることを認識している。夜起きる必要があるのなら、日本の夜が昼になっているヨーロッパの共同研究者と議論すれば良いではないか。
いろいろな人の助けで、研究室も大変円滑に動いている。研究室発の論文にはRIKEN-MP-#という番号をつけている。研究室が始まって9ヶ月、この番号も13になった。毎週の研究室ミーティングから始まり、議論とセミナーが続々と続く。4月からのセミナーの数も30に近くなっている。まさに、研究室メンバーの努力と、研究室を支えてくださる方々のおかげである。
日本科技大教授上田次郎の言葉が好きだ。「なぜベストを尽くさないのか