パリの森での議論。

パリの宇宙物理学研究所の講堂は、驚くほど古めかしい感じだった。昔の基研の大講義室を思い出す。いや、椅子の感じや天井の高さなど、それよりも古い感じがする。本当はいかほどに古いかは、ついに現地の人に尋ねる機会を逸してしまった。それもそのはず、現地の人つまり宇宙物理の人が研究会には居ない。これはQCDの研究会なのだ。
日本からはるばるやってきたのだが、一日目に座長でうまくセッションをこなさなくてはならない、しかも自分がconvenerなのでセッションの成功は全て構成からの責任になっているわけで、ちょっとした重圧で気が重くなっていた。しかし、会場でChung-Iなど懐かしい方々、そして招待講演で御呼びしてはるばる来てくださった方々、研究会に講演を申し込んでくださった方々、に次々とお会いして、そのような沈んだ気持ちは吹き飛んでしまった。友人に会うというのは、素晴らしいことだ。そして、海を越えて友人に会うということは、ことさら嬉しいことだ。
この機会に、と思い立ち、こちらへ来る前に、パリの友人二人にコンタクトをとってみた。いずれももう5年以上も会っていない研究者で、同い年。同じ場所で少し共に時間を過ごしたのが、ついこないだのように思える。水曜日、パリの研究会は半日だけフリーの時間があり、事前からその時間を使えると踏んでいたので、パリ郊外のその友人の一人を訪ねてみることにした。パリからは鉄道RERで30分もかからない。しかし東京と違って、パリはすぐに田園風景に入る。うねうねと続く緑の丘に見入っていると、すぐに目的の駅に到着した。無人駅のように思える。東京との環境の違いに愕然とする。緑を探し求めて人の多い都会を歩き回る生活は、何なんだろうか。

駅からあるいてすぐのところにフランス高等科学研究所(IHES)があるはずである。てくてく歩いていると、小さな門が目に入った。ああ、ここがあのIHESなのか。天才数学者を集めた少数精鋭の研究所。以前から訪ねたいと思っていたのだが、なぜか機会を逸していた。門のIHESのプレートを触りながら、中に入ってみた。
昔は城だったというこの土地は、今でも森で覆われている。その中に、白く美しい建物が目に入った。前には芝生が広がる。アスペンを思い出した。こりゃ理論屋の天国やわ、と一瞬で感じた。そのまま、ぽけーっと芝生を眺めていた。そこでうろうろ歩いている自分の姿が目に浮かんだ。夏、ここに滞在させてもらえたら楽しそうやわ。もちろん、そこに議論を楽しむ研究者がたくさんうろうろしていたら、だけれども。
友人との待ち合わせまでに時間があったので、研究所にいらっしゃる日本人の方とお話ししたり、少し研究所内をうろうろしてみる。見事に、全てのドアが閉まっている。こりゃあまりいい雰囲気やないわな。そう一旦は思ったが、そもそもこの研究所が数学者のためのものであることを思い出すと、合点が行く。沈思黙考するには最適の環境なのである。そして、研究会が開かれている時期は全く違う雰囲気なのだろう。静かにできる時間があり、にぎやかに議論できる時間もある、それが研究者ごとのニーズに合ったとき、最高の研究所になる。
「Koji-san」と呼ばれて振り返ると、そこには友人の顔があった。森を歩きながら近況を話し、そして議論をする。そのまま黒板での議論になる。我々が書き下した量子力学系の取り扱いについて疑問点を呈され、そこから問題が発展するかもしれないことが明らかになる。楽しい、じつに楽しかった。