イギリスの重い雲の下で.


朝日が照らすイギリス東部の田園風景の中を、高速鉄道がロンドン、King's Cross駅に向けて疾走している.まずいパニーニをほおばり、まずいコーヒーをすすりながら、幸せな時間である.

イギリス滞在は六日間だった.ケンブリッジ大学ニュートン研究所と、ダラム大学に呼ばれて、短い間だったが二度講演をした.旧友に会い、新しい人に会い、議論をするのは、全く楽しい.来て良かった.

物理というのは世界共通の言語なので、まったく初めて会った人とも、すぐに非常に深いところまで会話が出来るところが魅力の一つだ.僕はこれにいつも魅惑されながら過ごして来たように思う.友人でもそうでなくとも、物理の興味が近ければ、話し始めればすぐに、その人がどこまで深く考えたか、思索の道筋がどんなだったか、どんな風にそれを楽しんだか、が、手に取るように分かる.それが、日本人でもイギリス人でも、イラン人でも、会って話せば、まるで身体的な感触のように伝わるのである.生まれも育ちも文化も伝統も生活も人生も全く異なる人と会って、話すだけですぐにその人の貴重な財産について深い思索の底に一緒に降りて行ける、ということは、何物にも代えがたい魅力である.これが、自分の人生の糧になっている.


ダラム大学にお邪魔するのは初めてだったのだけれど、Mantonとソリトンの本を書いたSutcliffeや、Wardがいる大学なので、ソリトン好きな人間としてわくわくしていた.Sutcliffeには今までお会いしたことが無かったが、会ってすぐに、BPS solitonのtopological numberが多いときのsizeについて、激論を交わす.互いの主張が矛盾するように見えたので、かなりエキサイトした.しかし結局最後は、一件矛盾するような話のどこに原因があったのか特定出来て、お互いニヤニヤ.で、まだ出版していない研究のことなどを議論する.会ってから3時間.まったくお互いの文化や育ちや人生を話さないうちに、これまで何年もお互いに考えて来たことをぶつけ合うことが出来る.これがまさに、理論物理の醍醐味.


ケンブリッジに住んだのはもう6年前になる.日本を発ち、ヒースロー空港からのろのろと鉄道に乗り、ケンブリッジの宿舎のベッドに入り込む.次の朝、ニュートン研究所に到着してすぐ、研究所の芝生の匂いが、6年前の頃のことをはっきりと、しかもまざまざと、思い起こさせた.生活や研究、いろいろ辛かったことが思い起こされた.あれから6年になる.僕はその間何をやったんだろう、そう思って、自分の論文を眺め直したりしてみた.当時の日記を読み直したりしてみた.

なんとなく空しくなった.イギリスの典型的な、陰鬱な空に押しつぶされそうになった.家族や研究室から離れて一週間、地球の裏側に来たけれど、それは何のためだったのだろう、と感じた.呼ばれたら断らないというポリシーを貫くことに何の意味があるのだろうと思った.


けどね、しばらくして、研究所に続々と人が集まって来たとき、懐かしい顔がたくさん目についた.PaulやNick、Ki-MyeongやSungjay、DavidやDavid.議論をする.さっきの空しさは消し飛んでいた.

理論物理の研究の魅力には二つある.一つは、こうやって世界のあらゆる研究者と、議論をし思索を戦わせ、深い交流が生まれること.世界を探検する秘密の合い言葉を共有しているような.もう一つは、一人だけでどこまでも深く思索に耽り、ノート百ページの計算に没入して恍惚とすること.この二つの魅力が、僕の人生を決定的に決定している.

日々のしょーもない雑用から離れることは重要や.人生を確認する.