仁科芳雄の机。

おそるおそる、その古ぼけた木の机の表面に手を伸ばしてみる。さすってみると、まずはひんやりとした感触、そして、使い込んだ木の古傷のざらざらした感触。なんや、父からゆずられて大学まで使っていた、あの木の机とほんま同じ手触りやわ。そう思って、少し安心して、それで、少し興奮した。

金曜日、理研駒込分所がいよいよお別れだということで、研究室の方々と見納め見学へ行ってきた。その43号館は、いかにも、という感じだったが、しかし築75年以上とは思えない頑丈なつくりだった。受付を済ませて、まずは正面を見据える大河内先生の像を見る。そして、階段の手すりに手をかけた。手すりは、昔の京大のA号館の手すりとまったく同じだった。この手すりを持って、仁科も朝永も階段を上ったかもしれない。

担当の方に話を聞く。どうやら、仁科さんはこの建物にいたという話だった。戦争で東京がほとんど焼け野原になったが、頑丈なこの建物は残ったということだった。エレベーターの上にまで住んでいた人もいたという。まだまだ使えそうな建物だったが、やはり古さには勝てないのだろう。仁科や朝永と同じ階段を上り下りしているということが、まだ、自分にはぴんと来なかった。

たとえば、京大の基研だって、湯川があの階段を上り下りしていたはずだが、どうも大学院時代から使っているものというのはありがたみが沸かないらしく、あれは単なる階段に見えてしまっている。今回の階段は、どうも違う感触がある。なんでだろう。

その後、仁科財団にお邪魔して、公開されていない仁科芳雄の部屋を特別に見せていただいた。これがまたすばらしいこと。当時の雰囲気を出すために照明も暗い。そのなかを目を凝らすと、古い木の机、そして、黒板!

真っ先に目が行ったのは、黒板と本棚だった。そやかて、物理学者やったら、人の研究室に足を踏み込んだとき、一番気になるのは、黒板と本棚。それは、その人の物理をそのまま体現しているはずやから、ね。本棚には、古めかしい教科書がたくさん並んでいる。そんで、黒板には・・・何が書いてあったかは、それは、ここには書かないことにする。

仁科財団理事長の山崎先生からいろいろとお話を聞き、自分の今やっている研究の根元がそんなふうな歴史でつながってきているんだと実感することしきり。偉大な物理学者の机が残っているというのは、やはりすばらしいことだ。こうやって、その人に触れることができる気がする。

仁科芳雄。日本の原子物理学の父。仁科加速器研究センターに所属する身として、そして一人の物理屋として、この「一人の男」のことを知っておきたかった。願望がかなった。