「文化的」な一日。

明日のイラン出張を前に、一日休暇をとり、少しゆっくりする。Mathew Richieの絵の隅に、Calabi-Yauを発見。うわ。僕はもともと抽象画っぽいのは非常に嫌いなのだが、こういうことをされると、とたんに好きになってしまうというのは、どうなんだろう。Higgsとかも描いてあるし。他の作品も見てみたくなった。
フッサールの『幾何学の起源』を読む。眠い。大学生のときに読んだ筈だが、どうも面白くない。やっぱし「現象論」は僕には向いてないんだろうか。いやいや。
桜が美しい。昨日まで、あちこちで見事に咲いた桜を見るたび、なんとなくいやな感じがしていた。それは、あららもう今年も咲いてしまった、僕は、前に桜が咲いたときから、今年桜が咲くまでに、どんな研究をしただろう、どういう成果を挙げただろう、そんなことがついつい頭をよぎってしまい、桜の美しさがどこかへ行ってしまっていた。もちろん、この一年、自分なりにはいい研究成果を出せたと思う。けど、いろいろと研究の欲はあるもので、その辺はどうしようもない。ところが今日、落ち着いて桜を見ることが出来た。なぜだろう。自分でも良く分からない。乱れ散る桜は、美しく、はかなかった。はかなさが身にしみた。イランから帰ってきたら、もう桜の花びらは一枚も残っていないに違いない。