渋谷のgravity dual。

通勤ラッシュの渋谷を歩いていると、多数の人のダイナミカルな動きの美しさに感動することがある。月曜日の朝など、週末にリフレッシュして、さあこれから研究だと頭がすっきりしているときに、例の想像を絶する通勤ラッシュに巻き込まれると、どうしてもそのダイナミクスの不可思議さに注意を持っていかれてしまう。ふむ、渋谷には、等価な高次元重力による記述つまりgravity dualがあるのではないか?

京王井の頭線の渋谷駅の改札を出ると、列車から吐き出された恐ろしい数のサラリーマンが、他方山手線から吐き出された恐ろしい数のサラリーマンと衝突する。山手線から降りてきた人々は京王井の頭線を目指し、そして京王井の頭線を降りた人は山手線を目指す。しかし不思議なことに、いや当たり前なのだが、双方は「衝突しない」のである。それは何故だろう。当たり前である。個々の人間は自由粒子ではないので、衝突を回避するように事前に予測し、自らのルートを決めているのである。この「渋谷系」(仮にこの物理系をそう呼ぼう)をどんな物理系で近似できるか考えてみよう。最も簡単な模型は、荷電を帯びた自由粒子でdilute gas近似を使うものであろう。しかし残念ながら、それは田舎の乗り換え駅には当てはまるかもしれないが渋谷系には適用できない。荷電粒子(人間)の密度が非常に高いからである。つまり高密度系となっているのである。しかも明らかに言えることは、自分の普段の徒歩ルートを決める際のロジックを考えてみると、強相関系となっていることである。自分には行きたい方向があり、その方向への最短ルートを探しているのであるが、非常に多数の人間がどちら方向に歩いており、一方自分と同じ方向に歩いている人間がどの辺りにいるか、ということを瞬時に判断しながら全員が歩いているのである。つまり、個々の粒子の相互作用は、一対一の相互作用ではなく、非常に多くの粒子との相関が瞬時に伝播し判断されて全体の流れが形成されているのである。もしくは、他の言い方をすると、自分が相手の動きを判断するとき、一人の人間それぞれを見るのではなく、その人が周囲のどの人と関係があるのだろうということを想像しながら判断しているということである。親子、友人、同僚、恋人、そういう相関が無いかどうか確認しながら(もしその人に周囲の人とそういう相関があれば、動きが遅かったり、その間に割り込むことは避けたり、いろいろな判断が働く)歩く方向を決めているのである。つまり、二点相関関数だけでなく、三点や四点という多点相関関数が重要になる、すなわち、結合定数の大きい物理系になっているのである。これらをまとめると、渋谷系は強相関高密度系となっていると言えよう。

もうひとつ楽しいオブザベーションがある。人間と人間の間の距離には、明らかに斥力が働いている。もちろん時々恋人や夫婦でペアを組んでしまう長距離引力もあるのだが、それは、物理のおきてに従って、第一近似で無視しよう。この人間間斥力は、二つのスケールに基づいている。一つは心理的最短距離で、もう一つは物理的(すなわち"physical":肉体的)最短距離である。心理的最低距離は、50センチくらいであると言われている。これは体の表面から図っている距離なので、実際は一メートルと近似してよいだろう。一方肉体的最短距離はもちろん人間の体のサイズであって、これを密度が超えることは許されない。渋谷の改札の外では、心理的最短距離が実現されるくらいの高密度系になっている。一方、井の頭線の列車の中では、物理的最短距離が実現されている。まったく、恐ろしい話である。(いや、恐ろしいかどうかはともかく、物理のおきてに徹することにしよう。)これらの斥力は、特に物理的な斥力は大変強いもので、渋谷系はいわゆる「ハードコア(強芯)」系になっていることが分かる。

斥力については大変分かりやすいが、一方で引力はどうであろうか。実は人間の間には弱い引力が存在している。これも心理的なもので、待合室に座る密度を考えると分かりやすい。がらんとした広大な空間にわずかな数の人間が入ると、完全に離れて座るというのは心理的に抵抗がある。引力があるのである。これは、脳の将来予測と関係しているのだと思うが、人の行動は理由があり最も効率よく行われるようプログラムされているという仮定に基づけば、自分の予測できない利益に他の人は気付いているのではないかという考え方から集団行動意識が働く。これは非常に弱いい引力であるが、渋谷系にも当てはまる。高密度になっても、やはり人の行動についていけば安全に自分の行きたいところに到達できるという心理が働くからである。

したがってまとめると、渋谷系は、強相関高密度系で、短距離で非常に高い斥力、長距離で弱いい引力の働く系であると言える。自然界でこのような性質を持つ系は何であろうか??------それは高密度核子系、原子核である!!核子の間には強い相関が働き、斥力芯が存在し、π粒子の交換で引力が働いてbound stateを形成する。

渋谷のように大量の核子が二方向からやってきて衝突するような状況はあるか?------RHICがあるやんか!RHIC実験では重い原子核を加速して衝突させる。その実験で判明したことは、衝突のすぐ後に、非常に粘性の低い流体の状態があるということであった。超弦理論を用いたホログラフィックQCD、つまり等価な重力の記述(重力双対)、では、この大変低い粘性を再現することに成功している(かなり違うゲージ理論の解析を援用しているのではあるが)。面白いことに、渋谷系は非常に粘性が低いことがすぐに見て取れる。人間の流れは、まさに完全流体であるのだ。まったくお互いに触れずに、大量の人間が決まった方向に流れている。それは、定常流体ではなく、列車の運行スケジュールにかき乱された非定常流体であるにも関わらず、トータルフラックスはもちろん保存し、最適化された完全にスムースな流体なのである。

渋谷の改札付近はもとより、有名な渋谷駅前の交差点では、二体原子核の衝突だけではなく、四体の衝突が見られる。ここでは、交差点がスクランブル方式となっているので、四方向から一斉に人々が歩き出す。この状況を井の頭線と山手線を結ぶ陸橋の上から眺めると分かるが、非常に美しい、粘性の低い流体をなしているように見える。

これらの事実を総合すると、渋谷系には重力双対があることになろう。渋谷系は空間2次元の流体であるので、重力側は4次元の反ドシッター時空であろう。改札口の位置と流量といった適切な境界条件を反ドシッター時空の一部の境界条件におけば、重力側で古典的なアインシュタイン+物質場の方程式を解くことにより、渋谷の記述が可能になるであろう。

もちろん、冗談です。